ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第84号(2013年11月22日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
市制施行100周年を記念してスタートした市史編さん事業も、ゴールに向けていよいよ最終盤戦に突入しています。
さて、みなさんご存じのように、青森の市制施行は明治31年(1898)4月1日からですね。ただ、市制施行運動は、市制・町村制という法律が公布(翌年施行)された明治21年から始まっていることが確認できるので、10年がかりでようやく市制が実現したということになります。祝宴会での工藤卓爾(最後の町長で、初代の市長)のスピーチでも、この「10年」について語っています。その意味では、まさに念願の市制施行だったのです。
では、「何故、10年もかかったのか?」…いろいろと調べてみたのですが、この問いに十分な説明をしてくれる文献は見当たりません。その理由は、ふたつ考えられます。ひとつめは、このテーマに限らず、かつての「青森市の歴史」の叙述にはしばしばみられるのですが、「経緯」にはあまり意が払われないということにあります。もうひとつは、これに関する公文書がまったく残っていないからです。町役場が明治29年の火災(類焼)で全焼し、この時に文書も焼失したのです。これは後に議会で問題となり、町長が辞職するということにまで至りました。「青森市の歴史」にとっては、重要なテーマではあるので、残念です。
浦町村、滝内村字古川の合併についての得失について審議するよう県から諮問
(明治25年3月18日付、市史編さん室所蔵「明治廿四年ヨリ 郡参事会議事録」より)
そのため、今回、「通史編」を編集するにあたっては、新聞の記事を拾うことで、市制施行までの経緯を追うことにしました。やはり十分ではなく、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感は否めませんが、それでも市民レベルでは、市制の実現に胸を膨らませながらも挫折を繰り返す…そんな歴史の断面に光をあてることはできたと思います。
詳しくは3月発刊予定の「通史編」第3巻で…乞うご期待!
風邪気味ではありますが、懸命に編集作業と向き合っています。
明治末~大正初期の浦町国道通り
(市史編さん室所蔵の絵はがきより)
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