ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第98号(2014年3月7日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは。臨時職員の村上です。
今日3月7日は青森市において港に関係する大きな出来事のあった日なのですが、みなさんは何の日だと思いますか?
実は、国鉄の青函連絡船が運航を始めた日なのです。明治41年(1908)3月7日午前10時、比羅夫(ひらふ)丸が青森港を出港しました。以降、青函連絡船は青函トンネル・海峡線開通にともなって昭和63年(1988)3月13日に定期運航を終えるまでの80年に渡り、青森と函館を結んでいました。
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さて、今回は青函連絡船とオリンピックの関係についてお話しします。今年はソチオリンピック・パラリンピックが開催され、たいへん盛り上がっていますね。では、青函連絡船はどのようなかたちでオリンピックに関わったのでしょうか。
青函連絡船は昭和39年の東京オリンピックで重要な役割を担っていました。というのは、北海道から青森へ聖火を運ぶことになったのです。しかも、聖火の引き継ぎを津軽海峡の連絡船上で行うことになりました。洋上での聖火の引き継ぎはオリンピック史上初であったといいます。
9月17日、聖火は青函連絡船・津軽丸の上で北海道の最終走者・小沼選手(函館水産高校2年)から青森県の第一走者・小山内選手(市立第一高校〈現青森北高校〉3年)へと引き継がれました。そして、津軽丸が青森港に入ると花火が打ち上げられ、浦町中学校のブラスバンドが「聖火を迎えて」の演奏を行い、聖火を歓迎しました。
津軽丸大錨(函館市)
聖火は駅前広場から新町通りを進み、県庁では集まった約2万人の市民から歓迎を受けました。このメールマガジンをご覧のかたの中にも、聖火リレーを見に行ったというかたがいらっしゃるのではないでしょうか。
2020年に開催される東京オリンピックではどんな聖火リレーが見られるのか、今から楽しみですね。
3月31日に刊行予定の『新青森市史』通史編第3巻 近代・第4巻 現代では、北海道と青森を結ぶ航路や港の発展について詳しく記述しておりますので、ぜひご覧ください。
※北海道旅客鉄道株式会社『青函連絡船 栄光の航跡』などを参考にしました。
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