ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第52号(2013年4月5日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
メールマガジン「あおもり歴史トリビア」も2年目の春を迎えました。編さん室には新たな仲間も加わり、メルマガの執筆もしてもらえることになりました。今年度も毎週1回、金曜日に配信いたしますので、引き続きよろしくお願いいたします。
さて、空から降ってくるモノといえば…
先日、ロシアで隕石が落下して話題となりましたが、日々の気象現象としては「雨と雪」といっていいでしょう。そういえば、何年か前にオタマジャクシが降ったって話題になっていましたっけ。それはさておき、今回は空から降ってきた珍しいモノのお話です。
藩政時代、青森浜町に滝屋という青森町を代表する大店(おおだな)がありました。そして、この滝屋家7代目の当主善五郎の養子となった彦太郎さんが日記を書き残しています。この日記、通称「滝屋日記」といいまして、幕末から明治初年までの青森町のようすを知るには格好の資料として知られています。
その日記の明治3年(1870)3月7日の記事に、つぎのような話が出ています。
藁麦などが降ったという記録(「滝谷日記」明治3年3月7日条)
野辺地村の商人と思しき人物が、滝屋の関係者であると思われる滝屋忠吉さんのもとを訪ねます。そこでこの野辺地村からの来客がいうには、3月1日の夕方に野辺地村に小豆と蕎麦などの穀物が降ってきたそうなのです。しかも、彼は3月5日に平内村へ立ち寄ると、そこでもまた降ったそうで、降ったモノの原物を忠吉さんに見せたそうです。
この話を聞いた彦太郎さん、青森市中のようすをうかがってみたところ、あちらこちらの家の屋根に降ったモノが乗っているようで、湯飲み茶碗でそれを拾っている人の姿を目にしています。
さぁ、これは一体何なのでしょうね。
彦太郎さんは、近畿・東海地区で多く起きたあの「ええじゃないか」を連想しています。「ええじゃないか」で降ってきたお札、小豆などの穀物になぞらえたようです。
そして、何かの予兆現象ととらえます。吉と出るか、凶と出るか…
彦太郎さんは、「天下」の平穏を願ってこの記述を締めくくっています。箱館戦争など、激動の数年を青森町で暮らした人の率直な願いといえるでしょう。
来週は、編さん室の新メンバーが担当します。乞う、ご期待。
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