ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第32号(2012年11月9日配信)
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更新日:2018年6月8日
こんにちは。臨時職員の村上です。皆さんは青森市森林博物館を訪れたことはありますか。私は小学校の遠足で初めて森林博物館を訪れたのですが、緑の屋根がとても印象的で、今でもその時のことを覚えています。
青森市森林博物館
森林博物館の建物は、青森大林区署(のちの青森営林局)の庁舎として明治41年(1908)に建てられました。建築から100年をこえる、ルネサンス様式の建物です。森林博物館として開館したのは昭和57年(1982)のことで、今年で開館30周年を迎え、11月3日から特別展を開催しています。今回は森林博物館と関係の深い、津軽森林鉄道を紹介したいと思います。
森林鉄道は人ではなく木材を乗せて走る鉄道で、青森市を起点とする津軽森林鉄道は明治42年に運転を開始した日本初の森林鉄道です。青森市沖館から五所川原市(旧金木町)の喜良市(きらいち)までを結ぶ67km(支線を加えると総延長121km)の森林鉄道は、国内最大規模でした。
東北本線、奥羽本線の開通により、青森市から良質なヒバ材を東京などに出荷するようになりましたが、木材の搬出は人力や馬車に頼る状態で、需要に応えることができずにいました。そこで、木材を運ぶための森林鉄道が作られることになったのです。
津軽森林鉄道の遺構、奥はJR津軽線の線路(蓬田村)
普段は木材を運ぶために使われていた森林鉄道ですが、人を乗せて運行する事もあったようです。列車の走らない時間には地域住民が線路の上を歩くこともあり、特に道路事情のよくない地域では重要な道とされていたそうです。太宰治も森林鉄道を歩いた一人で、小説『津軽』には金木川に沿って線路を歩いたときの様子が書かれています。
青森県の林業を支えた津軽森林鉄道でしたが、昭和26年の森林法改正で大規模な林道(自動車道)の整備が計画されると、次第に輸送量が減少し、昭和42年11月に廃止されることとなりました。
では、線路の跡地はどうなったのでしょうか?
青森市内の線路跡地は、昭和47年、市に無償譲渡され、市道の整備などに用いられました。沖館地区にある「津軽森林鉄道碑」は線路跡を見つける手がかりのひとつです。
津軽森林鉄道碑
また、後潟地区には森林鉄道の線路跡と現在建設中の北海道新幹線が並行して走っている区間があり、新幹線の車窓からどのように見えるのか、ちょっと気になります。
森林博物館では青森の林業や森林鉄道の歴史について詳しく紹介しておりますので、開館30周年のこの機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。
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