ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第9号(2012年6月1日配信)
ここから本文です。
更新日:2015年6月1日
こんにちは。私は、歴史普及活動による人材育成事業で採用され、4月から市史編さん室で臨時職員をしている、村上亜弥と申します。編さん室での業務のほか、時には外に飛び出して、青森の歴史に関する知識を深めているところです。今回は外部研修ということで、県立郷土館で毎週土曜日に行われている「土曜セミナー」に参加してきましたので、その報告をします。
5月26日の土曜セミナーは「菅江真澄『外浜奇勝』を読む」というテーマで行われました。4月13日のメールマガジンでもお知らせしましたが、今年3月、青森県立郷土館に『外浜奇勝(そとがはまきしょう)』の直筆本が寄贈されました。菅江真澄(すがえ・ますみ)は江戸時代後期の紀行家で、北海道、東北などを巡ってたくさんの記録を残しています。『外浜奇勝』は寛政8年(1796)と寛政10年(1798)に津軽の各地を歩いて書かれたものです。
菅江真澄句碑(善知鳥神社)
菅江真澄の解説板(善知鳥神社)
今日は6月1日ですが、偶然にも『外浜奇勝』の始まりは6月1日で、次のように書かれています。
「六月一日昨夜からこの弘前にきて、知人の中井某の家に泊まっている。朝早く、今日が氷室のためしといって、雪のような氷餅に、岩木山から取ってきたまことの氷もそえて、「めしあがれ」と出された。」
旧暦6月1日には「氷の朔日(こおりのついたち)」と呼ばれる、氷や固い氷餅を食べて「歯固め」をする(=長寿を祝う)風習があったそうです。岩木山の氷を食べるというのが弘前ならではですね。セミナーでは岩木山の氷を保存するという風習が戦前まで続いていたと聞き、たいへん驚きました。
真澄の記録は文字によって記録されることの少ない庶民の生活を知ることが出来る貴重な史料です。真澄の日記を読み、当時の人々の生活を想像しながらその足跡をたどってみてはいかがでしょうか。
『新青森市史』通史編第2巻近世(672~691ページ)では青森市域における真澄の旅の記録を紹介しております。当時名所となっていた三内の桜をはじめとするスケッチも掲載されておりますので、楽しみながらお読みいただけると思います。
また、青森県に関する記述を手軽に読めるものとしては、東洋文庫の『菅江真澄遊覧記3』もあります。
さて、先日私が参加した「土曜セミナー」ですが、明日は「ある郷土作家の書簡から」というテーマで開催されます。興味のある回のみの参加も可能ですので、ぜひ気軽に郷土館へ足を運んでみてください。
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.