ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第93号(2014年1月31日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは。大学入試のセンター試験も終わり、ほっと一息ついたかたもいらっしゃるのではないでしょうか?
今回は、江戸時代の青森町の庶民教育について少しお話します。
江戸時代の庶民教育というと、テレビ等の時代劇では、寺子屋において読み・書き・そろばんを教えているようすが映りますが、当時の青森町はどうだったのでしょうか。
『新青森市史』通史編第2巻近世によりますと、当時の寺子屋での教育活動を具体的に示す資料はほとんど残っていないようですが、青森町でも寺子屋で読み(読書)・書き(習字)・そろばん(算数)を教えたと考えられ、寺町(現本町一丁目)に江戸時代前期に建てられた常光寺、正覚寺、蓮心寺、蓮華寺が、布教と共に寺子屋の役割を受け持ったのではないかといわれています。
「寺子屋教訓書」(『新青森市史』通史編第2巻より)
一方、寺子屋の所在については、『新青森市史』に宝暦元年(1751)から明治20年(1887)までの「青森の寺子屋一覧」が掲載されており、64か所の寺子屋が、先生の名前、開設場所、開設期間、教科、生徒の人数等の順で記されています。
この一覧の最初に書かれているのが、昨年12月13日・20日の「あおもり歴史トリビア」第87・88号でご紹介しました落合千左衛門です。落合は、伊勢屋という商人であったこともあり、おそらく読み・書き・そろばんを教え、宝暦年間(1751~64)に大町(現安方二丁目~本町五丁目の県立郷土館の通り沿い)で、寺子屋を開いたといわれます(市街地で最初)。
また、一覧の開設場所を見ますと後潟、油川、新城、大町、柳町、浦町、大野、荒川、横内、高田、原別、宮田など、広範囲にくまなく寺子屋があったことがわかります。そして、先生の職業もお寺の住職のほか、弘前藩士や浪人、神社の神官、医師、町奉行所の役人など多種多様です。
教科は、一般に読書と習字が中心で、算数を教える所は少なく、特に浄土真宗本願寺派のお寺である安定寺(現新町二丁目)では、文政8年(1825)~明治20年まで読書・習字を教え、夜間には聴覚・言語に障がいのある人に対する教育が行われたようで、これが青森市域における最初の聴覚障がい・言語障がい教育として高く評価されています。
安定寺
その後、幕藩体制は終わり明治政府が成立し、教育を担当する官庁として文部省が創設されていくのです。
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