ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第130号(2014年10月24日配信)
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更新日:2016年1月8日
こんにちは。嘱託員の鈴木です。
青森と函館をつないでいるもの、といったら何を思い浮かべますか?
昭和時代には青函連絡船、今は青函フェリー、JR津軽海峡線、そしていよいよ2016年には北海道新幹線でもつながりますね。また、青森市を起点とする国道280号は、海上国道として津軽海峡を渡り函館市までつながっています。
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そしてもうひとつ両市をつないでいるもの、それは海底ケーブルです。
海底ケーブルの歴史は古く、明治4年(1871)にはデンマークの会社により長崎-上海間に海外通信用の電信用海底ケーブルが敷設され、翌5年にはこの海外通信を東京とつなぐため、日本政府が関門海峡に国内最初の海底ケーブルを敷設しています。
津軽海峡へは国内で2番目、明治7年に今別-福島(現松前郡福島町)間に海底ケーブルが敷設され、これにより青森と函館は初めて電信でつながり、電報が送れるようになりました。その後、明治15年に今別-函館間、同23年に佐井-函館間にも敷設されましたが、この23年の敷設には、明治9年の東北巡幸の際に天皇が浜町埠頭から乗船された明治丸が使用されました。
これらは電信用海底ケーブルでしたが、明治34年頃、青森商業会議所などから青函間の長距離電話開設を望む声が出てきます。逓信省は最初、すでに敷設されている電信用ケーブルを電話に利用する計画で何度か試験を繰り返し、明治39年10月には年度内に開始の見込みとして料金も発表されます。しかし、試験結果が思わしくなく、このときは開通が延期されますが、明治45年には電報通数の増加により電話の必要性が増し、電話用ケーブルを敷設する計画が立案されます。
この少し前、津軽海峡よりやや距離の短い英-アイルランド間に敷設された電話用海底ケーブルの好成績が伝えられたため、青函間でも可能、成功すれば世界新記録の長距離電話と期待も高まりました。しかし、やはり技術的・経費的な問題でなかなか実現を見ず、大正15年(1926)4月13日から平舘石崎(現外ヶ浜町)-当別(とうべつ)(現北斗市)間に電話用海底ケーブルの敷設を開始、同月24日にようやく青函間の電話が一般に開通したのでした。開通直後の『東奥日報』記事によれば、青函間の1日の発着信数は二百数十件もあり、使用者は通信社と海産物・魚問屋などが多かったようで、電話開通をこれらの人々が待ち望んでいたことが感じられます。
外ヶ浜町平舘の石崎漁港付近
(中央に見える塔は旧石崎無線中継所)
現在は世界中に海底ケーブルが敷設され、国際電話やインターネット、放送などに利用されていますが、100年も前に津軽海峡を挟んで青函両市をつなげるため、多くの苦労があったのですね。
ちなみに、東京横浜間に日本で最初の電信線架設工事が始まったのは明治2年10月23日(同年12月開通)。そのため、昨日10月23日は「電信電話記念日」とされています。
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