ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第144号(2015年2月6日配信)
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更新日:2017年3月9日
暦の上では立春が過ぎ、だんだん日も長くなり雪解けが待ち遠しい今日この頃です。
今回は、「浪岡ダム」についてです。
主要地方道青森浪岡線を高田方面から青森空港に向かうと、空港の手前を二手に道路が分かれ、左手の上り下りの山道を約6キロメートル行くと、ダム湖に赤い取水塔が目じるしの浪岡ダムが見えます。
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浪岡ダム事業地区は、岩木川右岸の五所川原市、板柳町、旧常盤村(現藤崎町)及び浪岡地区にわたる約3,140ヘクタールの水田単作地帯です。この地帯の主な用水は、十川(とがわ)及びその支流の浪岡川を水源としており、梵珠山麓の台地付近は、大小無数の溜池を水源としていました。十川、浪岡川に設けられた29の取水堰のほとんどと小溜池は老朽化が激しく、維持管理に多くの労力と経費がかけられていました。また用水不足のため地区内の水路は、排水を反復利用するため堰上げによる取水が多く、水田の80パーセントまでが湿田の状態で、基礎整備を進めることができず、近代営農形態を導入する障がいとなっていました。
そこで浪岡ダムは農業経営の近代化導入のため、国営事業として浪岡地区王余魚沢(かれいざわ)字片子都谷森(かたことやもり)に建設、王余魚沢川から取水することとしました。
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昭和46年(1971)10月に浪岡川農業水利事業所の開所、昭和49年9月24日ダム工事発注、昭和57年11月10日竣工、昭和59年4月より湛水(たんすい)開始、平成元年(1989)3月31日に浪岡川農業水利事業の完成となりました。
この浪岡ダムの完成によって、用水源が確保され、これまでの用水堰は統合されました。また、農業生産基盤が整備されたことで大型機械の導入を可能にし、労働生産性の向上が期待されました。
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なお、この事業実施中の昭和49年9月と昭和52年8月に集中豪雨があって、地区内の既存の土地改良施設は多大の災害を被りました。このため一部の工事は浪岡川災害復旧助成事業として国と県が共同事業として行いました。
また、事業竣工の翌年昭和58年5月26日11時59分、男鹿半島北西沖を震源とするマグニチュード7.7の日本海中部地震にみまわれましたが、浪岡ダムは、耐震的構造により安全性に問題はありませんでした。浪岡ダムは、いろいろな局面を乗り越えて造られたのですね。
※今回のトリビアは、『浪岡町史』通史編第4巻等を参考にしました。
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浪岡ダム
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浪岡ダム管理事務所
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