ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第172号(2015年8月21日配信)
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更新日:2017年8月18日
こんにちは。この夏は戦後70年ということで、戦争に関する本が多く出版されましたね。私はその中で、今年、文庫版で再版された『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』(斎藤美奈子著 岩波書店、2002年発行の新書版が市民図書館にあります)という本が、とても印象に残りました。この本は、戦争中、物資はなぜ不足し、国はどう対処しようとしたのかを時代を追って説明し、それにより家庭料理がどう変わっていったのかを本文に添えられた当時の婦人雑誌の料理記事を通して伝えています。
ではその頃、青森の人々の食卓はどうだったのでしょうか?当時の『東奥日報』から記事を探してみました。
昭和12年(1937)に日中戦争が勃発、翌13年には国家総動員法が制定され、人も物も国防のためにすべて統制運用することになりました。しかし、この頃の青森の日常生活はまだ余裕が感じられ、同年8月の「婦人の頁」では、ビールの肴としてワサビの海苔巻・里芋醤油煮のレシピ(調理法)が紹介されています。また、家庭の台所で働く女中さんを集めて節約を説く時局講演会が青森市公会堂で開かれ、三百数十人が参加しました。
やがて昭和15年から節米運動が始まり、18年になると米の代わりにジャガイモが配給されるなどし、農家以外もジャガイモ・カボチャを空地で生産することが奨励されます。同年6月には「手軽なおいもの料理」「馬鈴薯読本 芽が出ても煮ればあたらぬ」「アカザやハコベは普通食」といった記事が載っています。また同月、県衛生課が出した農繁期の共同炊事の一週間分献立例を見ますと、ほぼ3食ともジャガイモ・ワラビ・大豆・ホウレンソウ・フキ・タケノコ・体菜(たいさい)・小女子(こうなご)・身欠きにしん・さつま揚げを組み合わせて作る料理で、食材の種類が貧弱になっています。それでも「主婦の手帖」コーナーでは卯の花でつくるパン粉の代用品が紹介され、辛うじて工夫で食糧不足を補おうとしていたことがわかります。
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昭和20年に入ると、「手軽に出来る乾燥南瓜(カボチャを蒸して囲炉裏(いろり)で燻製に)」「ガブのみはやめませう 少ないお茶もくふうして(シャクナゲの葉で代用など)」「蝗入りパン(イナゴを粉末にして練り込む、茶殻・大豆殻・ススキなども)」「海水での調理法(塩の代わりに海水で味付け)」「リンゴの皮で酢を作る方法」「リンゴ飴 皮で簡単に出来る」「食べよう野草 手近な増産だ」など、もはやレシピというよりサバイバルといってよく、青森県でも厳しい食生活を強いられていたのを感じます。
私は今回、台所からの目線で戦争中の記事を読み、「食を選べる」今の平和を、より強く実感しました。これから先も、おいしい地元の食材を自由に食べられる幸福がずっと続いてほしいと祈ります。
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