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更新日:2016年4月5日
市史編さん室では『新青森市史』通史編第2巻(近世)の刊行を記念し、青森市男女共同参画プラザ「カダール」と共同で歴史講座「藩政時代の青森町を歩く」を開催いたしました。
現在の青森市には藩政時代の風景はほとんど残っておらず、その時代の青森をイメージすることはとても難しいことと思われますが、実は、当時の青森町の街区は、現在でもほぼそのままで残っています。
つまり、藩政時代の町割りの上に、現在の建物が建ち、私たちは当時の人々とほぼ同じ道を日々歩いているのです。
当日は青森町の特徴や藩政時代を感じる場所について説明を聞いたあと、藩政時代の絵図を持って実際に新町周辺を歩いてみました。
なお、定員20人でしたが、申込多数のため抽選を行わせていただきました。
開催日時:2012年6月9日(土曜日)13時00分~15時30分
会場:青森市男女共同参画プラザ「カダール」研修室(青森駅前アウガ5階)~新町・安方地区
講座のようす
講師 市史編さん室事務長 工藤 大輔
(写真の場所は新町の安定寺)
「町歩き」の前に、カダールにて講義を行いました。
(1)栄作堂本店前
(2)県庁付近
(1)絵図に描かれた水路の跡を探しながら歩きました。栄作堂本店の横を通るこの道も水路の跡になります。(『新青森市史』通史編第2巻637~639ページ)
(2)青森御仮屋や青森御蔵、町奉行屋敷など政治的に重要な建物があった県庁付近を歩いていきます。(『新青森市史』通史編第2巻309~315ページ)
(3)青森御仮屋の碑
(4)一念寺
(3)青森御仮屋は弘前藩の出先機関でした。現在、青森県庁内(長島地下駐車場入口の向かい側)には御仮屋跡を示す碑があります。(『新青森市史』通史編第2巻2ページ、628~630ページ)
(4)一念寺は弘前の一瓢舎半升(いっぴょうしゃはんしょう)という人物が記した旅行小説『御国巡覧滑稽嘘盡戯(おくにじゅんらんこっけいうそつきげ)』にも登場しています。(『新青森市史』通史編第2巻701~702ページ)
(5)鉤型の交差点
(6)善知鳥神社
(5)安方にある不思議な形をした交差点。この鉤型は藩政時代の町割りに由来するものです。当時の人々もこの道を歩いていたのです。(『新青森市史』通史編第2巻639ページ)
(6)善知鳥神社は、17世紀中頃の絵図によれば、写真の赤い鳥居の奥(西側)が境内地で、参道は弁財天から新町方向に伸びていました。これは青森町ができる以前のようすを伝えている可能性があります。実は新町周辺が門前町的な存在であって、これが青森誕生以前の「善知鳥村」解明の手がかりになるかもしれないという興味深い話がありました。(『新青森市史』通史編第2巻632・633ページ)
アウガ(講座会場)→東横イン前→ホテルサンルート前→栄作堂本店前→県庁北棟付近→県庁第2駐車場付近→安定寺→県庁→村上新町病院裏→一念寺→JALホテル付近→安方・鉤型の交差点→善知鳥神社(解散地点)
今回歩いたコースを気軽に歩いていただけるよう、マップを作成しました。ぜひこの町歩きマップを片手に町歩きを楽しんでください。
ページ下の添付ファイルをご覧ください。
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