ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第77号(2013年10月4日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは。今回は、明治の青森市を訪れた一台の自動車についてのお話を紹介したいと思います。
明治42(1909)年8月2日~4日付の『東奥日報』に、「自動車旅行」という記事が連載されています。これは、横浜ライジングサン石油会社(イギリス資本)専務スペンサー・スミス氏が東北地方を自動車で巡回した際の記録です。この巡回の目的は、明治39年に、ライジングサン社との契約のもと野内に建設された石油タンクや販売区域の視察にありました。
野内の石油タンク(青森市発行『目で見る青森の歴史』より)
一行は、仙台・盛岡・三戸・八戸を経て野内タンクを経由し北海道へ、というルートで視察を行っており、「自動車旅行」(下)には浅虫温泉から野内タンク前までの自動車旅行に記者を同乗させたとあります。記者は、初めて乗る自動車の「疾風の様」な速さに、「駄馬、旅人、荷車乃至道路の曲がり角などに出遭ふ毎にハラハラ」としたようですが、スミス氏の熟練した操縦テクニックで車は難なく目的地に辿り着きました。そして、浅虫温泉―野内タンク間(直線距離で約4km程度)を10分という速さに、「速力の迅速なること今更に駭(おどろ)かれる」と感嘆しています。
一方、人々の反応を見てみると、通りの男女がもの珍しげにこれを見送り、また、野内停車場付近では見物人で黒山の人だかりが出来たとあり、馬無しで走る車に驚く野内の人々の声が聞こえてくるようです。
『写真 青森県百年史』(東奥日報社、1968年)には自動車に乗ったスミス氏が三戸の佐滝商店を訪れている写真が載っており、それによるとこの自動車は、「タイヤがソリットと呼ばれる空気のはいっていないもの」で、スポークは木製であったとか。
スミス氏の乗った自動車(『写真 青森県百年史』掲載の写真を参考に筆者作成)
北海道の視察を終えた一行は、8月6日には青森市浜町の金森楼で開かれた歓迎会に出席、日本通でもあったスミス氏は大いに楽しみました。スミス氏の計らいで自動車に乗せてもらった芸者たちは、「吾れも吾れもスミス氏に強請(ねだ)りて二度に分乗し嬉しがるものあり又危険がるものあり」と、はじめて見る自動車に興奮冷めやらぬ様子であったようです(『東奥日報』明治42年8月8日付)。他の市民に先駆けて貴重な自動車乗車体験ができたのが、金森楼の芸者たちだった(大柳繁造著『オートモービルグラフィティ 青森県自動車史1』ソフトウェイ、1991年)というのは面白いですね。
浜町(現本町)の金森料理店(『青森市史』第5巻付図「青森実地明細絵図」より)
馬車や人力車の行きかう明治の青森市を騒がせた自動車、その姿は青森市民の目に強く焼きついたのではないでしょうか。
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