ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第70号(2013年8月16日配信)
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更新日:2015年6月1日
今回は、まぼろしに終わった「大浜町」というテーマで油川地区のお話をしましょう。
大正8年(1919)4月1日、油川村は町制を施行して油川町となりました。ところが、これを遡ること13年、明治39年(1906)に油川村は「大浜町」という名称で町制施行を目指していました。これについては、明治39年4月8日付で村長西田林八郎が知事西沢正太郎に充てて提出した「油川村ヲ大浜町ト変更ノ義ニ付稟請」(市史編さん室蔵)という公文書の写しが残っています。
西田林八郎(『青森市史』別冊人物編より)
この文書によれば、「大浜」という名称は、「油川」という名称よりも、県内はもちろん、ほかの府県でも広く認知されていて、商人たちはみな「津軽大浜」と彫られた印鑑を使って取り引きをしているのだとあります。ですから、商業の発展を目指す油川村にとっては、より認知度の高い「大浜」でもって町制を施行したいと主張します。とくに、村長の西田は、「商業の町」を象徴すると言っていい「大浜」という名称への思いは並々ならぬものがあったようです。
さて、油川村の主張について、町村を監督する東津軽郡役所はこれを認め、知事にその考えを示します。ところが、県の判断は厳しいもので、この時は、油川村の町制施行そのものを認めませんでした。ここに、「大浜町」への改称は潰えてしまいました。
こうした背景があって、油川村は「油川」という名称で町制を施行することになったのです。なお、この時の町制施行に至る経緯については、来年刊行予定の『新青森市史』通史編第3巻で、当時の村議会でのやりとりなどを交えて詳しく紹介いたします。
大正初期の油川町(青森市発行『目で見る青森の歴史』より)
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