ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第53号(2013年4月12日配信)
ここから本文です。
更新日:2015年6月1日
こんにちは、はじめまして。嘱託員の白石です。今年から青森市史編さん室でお仕事をすることになりました。歴史学の中でも主に災害史を研究しています。今後、この歴史トリビアでも青森市で過去に発生した災害についてのトピックをお伝えしようと思いますので、ご期待くださいね。
さて、私は弘前市から毎日通勤しているのですが、たどり着く先は、みなさんご存知の青森市役所(本庁舎)ではなく、松原ポンプ場というところ。市史編さんは、ポンプ場の秘密の部屋(?)で、ひっそりと行われております。この松原ポンプ場は、昭和59年(1984)、いまから30年ほど前に運転が開始されました。周辺の下水道もそのころに完備されたことになります。
現在でこそ上水道・下水道ともに完備されている青森市ですが、以前は「毒水問題」に悩まされていたことはご存知でしょうか。毒水といっても本当の毒ではなく、八甲田山系から流れる天然の酸性水のことなのですが、江戸時代からこの水は農業に向かず魚も住まないとして、毒水と称されていたのです。
問題となっていた川は、荒川と駒込川、両河川は市内で合流して堤川となります。江戸時代の堤川は、水質が悪くはなかったようで、明治初年ころの『新撰陸奥国誌』には「鱒・鮭・年魚などの魚が住み、その他の小魚も多く見られた」とあります(年魚はアユのことで、1年で一生を終えることからそう呼ばれていたようです)。
堤川
駒込川の毒水対策としては、大正9年(1920)から諸々の調査が行われ、昭和6年からダム建設や揚水で毒水を希釈する方法がとられていました。
また、昭和15~16年ころに地殻変動があり、駒込川のダムの漏水だけではなく、もともと水質の良かった荒川へも強い酸性水が流れ込むようになってしまいました。これに対して、荒川には地下浸透法を実施する施設がつくられましたが、昭和43年に十勝沖地震で壊れてしまい、荒川には再び強酸性水が流れ込みました。
現在は、昭和60年に再建した施設で地下浸透法を行うことで、荒川の水は青森市の水道水として利用できるようになりました。市の水道部ホームページによれば、浄水場(向野沢)でコンピューターによる水質の監視などの自動制御を行い、市内の南西部地区に配水しているそうです。
強酸性で知られる酸ヶ湯温泉は、人々の憩いの場として親しまれてきましたが、一方でほとんどを八甲田水系から取水する青森市は、その強い酸性水の水質改善のために苦心してきたのですね。
堤川浄水場の水源・下湯ダム
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.