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更新日:2015年1月30日
棟方 志功(むなかた しこう)氏
1903年~1975年
(昭和44年2月17日推戴・昭和50年9月13日逝去)
早くから画業に研さんを重ね、わが国版画界における最高峰であるのみならず、世界のムナカタとして郷土青森の名を高めました。昭和45年、県人初の文化勲章を受章。
横山 實(よこやま みのる)氏
1903年~1974年
(昭和48年7月13日推戴・昭和49年8月14日逝去)
戦災で荒廃した青森市の復興に貢献し、4期16年(昭和22年~38年)にわたって市政を担当、現在の青森市の基礎をつくりあげました。
石館 守三(いしだて もりぞう)氏
1901年~1996年
(昭和63年5月15日推戴・平成8年7月18日逝去)
東京大学薬学部長などを歴任。強心剤「ビタカンファー注射液」や、がんの化学療法剤「ナイトロミン」を創製しました。また、ハンセン病の治療薬「プロミン」の国内初の合成にも成功し、さらに、国に「らい予防法」の廃止を呼びかける(1996年廃止)など、ハンセン病に苦しむ人々に明るい希望を与えました。
淡谷 のり(あわや のり)氏
1907年~1999年
(平成10年6月22日推戴・平成11年9月22日逝去)
「ブルースの女王・淡谷のり子」として日本の歌謡史上に確固たる地位を築き、激動の昭和時代、国民に歌の感動のみならず勇気と希望を与えてくれました。昭和47年に紫綬褒章、昭和57年勲四等宝冠章を受賞。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)氏
1932年~
(平成20年11月3日推戴)
世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成し、七十歳代で二度、世界最高峰エベレスト登頂に成功するなど、冒険家・プロスキーヤーとして国内外で高く評価されています。また、クラーク記念国際高等学校の校長として、青少年の可能性を育む教育活動にも尽力しています。
平成25年5月23日には、史上最高齢80歳にして3度目のエベレスト(8,848m)登頂に成功し、日本のみならず、世界中を感動させました。
市では、この多大なる功績をたたえ、平成25年7月27日、三浦雄一郎氏に対し「青森市名誉市民特別功労賞」を贈りました。
上部に、市の花「はまなす」を配して不屈の精神を示し、下部本体は、七つの「真珠」と「月桂樹」をもつ市章をかたどり、市の栄光と発展を象徴しています。
市では、青森市名誉市民の功績をまんがという親しみやすい媒体を通して後世に伝えるとともに、次代を担う子どもたちをはじめ、市民の皆さんに郷土への誇りと愛着を深めていただくため、「まんが伝記」を刊行しています。
青森市名誉市民の生涯を、漫画家・矢野功さんが思いをこめて、まんがで描いています。
どなたにも興味深く読んでいただける作品となっていますので、ぜひご覧ください。
まんが伝記の冊子は、青森市民図書館や各市民センターで閲覧いただけます。
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