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更新日:2019年9月6日
この遺跡は、古代(平安時代)の環壕集落(かんごうしゅうらく)遺跡で、指定面積約30,000平方メートル(南北約500メートル、東西約90メートル)です。遺跡の中心部には、空壕(幅6~8メートル、深さ最大約4メートル)と、壕(ほり)を掘った土を壕の外側に積み上げた土塁(どるい)とに囲まれた集落(南北約110メートル、東西約80メートル)があります。
遺跡のある丘陵地では以前から人が住んでいたようですが、高屋敷館遺跡では10世紀ごろから12世紀ごろまで人々が住み、11世紀には壕と土塁に囲まれた集落として最も栄えたとみられます。集落西側の土塁が途切れた部分から壕をわたり、木柱の門をぬけると、たくさんの建物や、建物をつなぐ通路、柵列がつくられ、鉄に係わる生産活動などが行われていたようです。
集落が途絶えると壕は完全に埋められ、近年まで果樹園などとして利用されていました。
高屋敷館遺跡想定復元図(11世紀)
この遺跡では、平成6年から翌年にわたって国道7号浪岡バイパス建設工事の事前調査が行われ、大規模な壕と土塁とに囲まれた環壕集落遺跡であることがわかりました。
壕と土塁以外にも、住居、金属を加工・製作していたと考えられる建物(工房)のほか、門、井戸など様々な施設の痕跡が多数確認されました。
調査の成果により、極めて貴重な遺跡であることがわかったため、バイパス計画路線を西側に迂回して遺跡を保存することとなり、平成13年1月29日には、国指定史跡に指定されました。
平成16年、17年には環境整備事業の一環として確認調査が行なわれ、高屋敷館遺跡のより詳しい姿が明らかになりました。とはいえ、まだわからないことも多いため、今まで行われた発掘調査の成果をより深く理解する作業が必要となりますが、国の史跡であることから、史跡指定地の約半分については発掘調査をせずに、将来に向けて大切に保存しています。
写真:高屋敷館遺跡調査状況航空写真(西から)は『高屋敷館遺跡発掘調査報告書』(1998)青森県埋蔵文化財調査センター撮影写真と青森市航空写真(2005)を合成
高屋敷館遺跡調査状況航空写真(西から)
発掘調査では、衣・食・住・生産に関連した資料が発見され、遺跡内での生活や暮らしぶりを想像できるようになりました。
衣:植物から繊維(糸)をつくっていたとみられる道具(苧引金(おひきがね)・紡錘車(ぼうすいしゃ))。
食:当時の人々が食べていたとみられる穀物(イネ・オオムギ・コムギ・アワ・ヒエ)やマメ類、皿・碗・貯蔵のためのうつわ(土師器・須恵器・漆器椀)や調理具(土鍋・鉄鍋・竪杵)。
住:建物の一部とみられる多量の板材や加工材(部材)。
生産:農耕具(鋤・クワ先・鉄斧)、鍛冶作業の道具(坩堝(るつぼ)・羽口(はぐち))、砥石、漁ろう具(土錘)、ムシロを編むための道具(菰槌(こもつち))、武器類(鉄鏃)などがあります。特に、鍛冶作業の残骸(鉄滓)が多量に発見されました。
ほかにも、特徴的な形のうつわ(把手付(とってつき)土器・内耳(ないじ)土器・片口土器)や、北方の文化の影響を受けて作られたうつわ(擦文(さつもん)土器)、宗教用具と考えられる土鈴・土製勾玉・錫杖(しゃくじょう)状鉄製品・銅碗などがあります。
高屋敷館遺跡出土遺物:土師器
青森市浪岡大字高屋敷字野尻
※冬期間は積雪のため見学できません。
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