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更新日:2022年11月28日
浪岡城は1460年代に浪岡北畠氏によってつくられました。浪岡北畠氏は、南北朝時代、後醍醐天皇を助けた北畠親房の子孫と伝えられています。1500年代前半の最盛期には、京都と盛んに交流し、寺社なども建立しています。しかし、1562年におきた親族間での争い(川原御所の乱)により勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城してしまいます。以後、約400年、城跡は畑や水田として使われてきました。昭和15年2月10日、青森県で初めて国史跡指定を受けました。また、平成29年4月には、「続100名城」の一つとして、(公財)日本城郭協会により選定されています。
指定面積約136,300平方メートル(東西約940m、南北約245m)。幅20m、深さ5mほどの二重堀などで分けられた8つの館(郭)が扇のように広がる形が特徴です。堀と、堀の中の土塁により守りを強化しようとしたものと考えられます。また、土塁の上を通路としても使用し、城全体を迷路のようにしていたようです。
1977年度からはじまった発掘調査により多くの発見がありました。これらの結果から、当時の人々がどのような風景を見て生活していたのかを体験しながら歴史学習のできる場所、史跡(歴史)公園にしてゆくための整備を続けています。
浪岡城跡の中心である「内館(うちだて)」と、「北館(きただて)」、「東館(ひがしだて)」及び「西館(にしだて)」と堀跡の一部を調査しました。発掘調査により当時使っていたものが大量に発見され、浪岡城が戦国城館としてだけではなく、住むための、いわゆる居館であることがわかってきました。とはいえ、調査は全体の3割程度が終了したというところですので、まだ多くの建物跡や遺物が眠っています。
食器や調理器具・武器類・農耕具・日用品・宗教用具・建築関係用品など様々な遺物が約5万点以上出土しました。詳しくわからなかった江戸時代以前の生活が土の中から目をさましたのです。これらの遺物は、中世の館で保管展示しています。
浪岡城跡
青森市浪岡大字浪岡
通年
冬季は降雪のため一部エリアのみ見学可能です。
無料
浪岡城跡案内所の駐車場をご利用ください。
普通車24台・大型車3台 臨時駐車場有り(普通車約100台)
青森市中世の館
青森市中世の館では、浪岡城跡から出土した遺物や推定復元模型から中世の浪岡城の生活を再現し展示しています。
〒038-1311
青森市浪岡大字浪岡字岡田43
電話 0172-62-1020
ファックス 0172-62-1021
詳細については、中世の館のページをご覧ください。
浪岡城跡案内所
浪岡城跡見学時の駐車場・休憩場所としてご利用いただけます。
〒038-1311
青森市浪岡大字浪岡字五所14-1
電話 0172-62-0363
なお、案内所に関するお問合せは、上記「青森市中世の館」にて承っております。
中世の館
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