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更新日:2023年6月30日
青森県のほぼ中央に位置する青森市は、面積824.61平方キロメートルの広さを持ち、北に陸奥湾、南に八甲田連峰、西に梵珠山地という豊かな自然に恵まれた都市です。
寛永元年(1624年)津軽二代藩主 信枚公が、そのすぐれた地勢を認めてそれまでの善知鳥村を青森村と改め、開港したのがはじまりです。
青森平野一帯の地質は、沖積層泥土質に属し、全般に砂層で地下水が高く、さらに平たんな地勢のため、土地は極めて湿潤でしたが、井戸水は多量の有機物を含有しており、飲用には不適当ということから、住民は飲料水の確保に困窮していました。
また、地域を流れる河川は小規模河川で、東部に野内川、中部に堤川及び駒込川、西部には新城川、天田内川等が陸奥湾に注いでいますが、いずれも利水の便が悪く、住民は衛生上の問題や火事等の災害に苦しみ、その脅威にさらされていたので、住民の間から水道の布設が強く望まれていました。
加えて、県庁の弘前から青森への移転、東北・奥羽両本線の開通、函館等との定期航路の開設、さらに市制施行後の市域の拡大などにより、人口の増加や商工業の急激な発達に伴い、都市繁栄の基礎条件というべき水道の布設について、ますます市民の声が高まりました。
青森市の水道が創設されるまでは、明治7年の小牧野山からの木樋での導水計画の中止や、日清・日露両戦争の影響による国会や県議会での補助金の減額や否決などありましたが、ようやく明治39年9月に事業認可を得て、明治40年6月に工事に着手しました。
水道水源は、従前から進めてきた調査を検討した結果、市から離れること約15キロメートル、堤川の支流で八甲田連峰の前嶽に源を発している横内川に求めるとともに横内浄水場を建設し、計画給水人口5万人、計画1日最大給水量4,150立方メートルの事業計画で施行し、明治42年12月に青森県内では初めての近代水道として通水を開始しました。
その後、隣接町村の合併などによる市勢の発展に伴い、水需要は年々増加の一途をたどり、これに対応するため昭和16年11月に横内浄水場の施設能力を1日あたり30,000立方メートルとする第1期拡張事業に着手しましたが、第2次世界大戦による資材不足等のため、拡張事業は一時中断しました。昭和23年、事業を再開し、昭和34年3月に第1期拡張事業が終了しました。
しかしながら、その後の人口の増加等による水需要に当時の施設では対応できなくなり、昭和37年11月に目標年次昭和50年度、計画給水人口250,000人、計画1日最大給水量75,000立方メートルとする第2期拡張事業の認可を得て、昭和38年7月に事業に着手しました。
この第2期拡張事業において油川・原別・中央配水所を逐次建設し、昭和48年3月に事業は終了しました。
一方、水需要は、その後の産業の振興、生活水準の向上、下水道終末処理施設の完成による水洗トイレの普及、郊外の宅地開発等によりますます増大したため、昭和49年3月に第3期拡張事業の認可を得て、事業に着手しました。しかし、予定水源の開発が困難になったため、昭和52年4月に水源を新たに酸性水の堤川に求め、事業計画変更の認可を得ました。この計画概要は、目標年次昭和60年度、計画給水人口328,000人、計画1日最大給水量180,200立方メートルというものでした。
昭和55年度までに、横内浄水場の拡張、天田内、原別配水所及び堤川浄水場第1期工事が完成し、既設の浄・配水所及び簡易水道を含め、施設能力は1日あたり149,916立方メートルになりました。さらに平成2年度には、平成元年度から3か年計画で策定した水道創設80周年記念事業の一つとして雲谷地区簡易水道統合拡張工事が完成したことにより、施設能力は1日あたり150,223立方メートルになりました。また、平成16年11月には堤川浄水場第2期工事が完成し、施設能力が1日あたり30,500立方メートル増加して1日あたり180,723立方メートルとなり、平成17年3月に第3期拡張事業は終了しました。
平成17年4月1日には、旧青森市と旧浪岡町の市町合併により両上水道事業を統合し、旧青森市の青森地区(計画給水人口328,000人、計画1日最大給水量180,200立方メートル)と、旧浪岡町の浪岡地区(計画給水人口24,900人、計画1日最大給水量12,090立方メートル)から、青森市水道事業全体としては計画給水人口352,900人、計画1日最大給水量192,290立方メートルの上水道事業となりました。
平成18年4月1日には、水源水量が不安定な状況にあった田茂木野簡易水道を上水道に統合し、計画給水人口353,200人、計画1日最大給水量192,338 立方メートルの上水道事業となりました。
平成19年3月31日には、水源である地下水の水質悪化により取水量が著しく減少していた中央配水所を、維持管理費の縮減を図り効率的な水運用を図る観点から廃止しました。
平成21年12月、青森市の水道は、給水開始100周年を迎えました。
令和2年6月30日には、施設の老朽化が進み多額の更新費用がかかる見込みであった油川配水所を、水需要の減少に合わせた施設の統廃合という観点からも、天田内配水所の配水エリアと統合し、廃止しました。
現在は、「青森市水道経営プラン(2019~2028)」に掲げる基本理念「真の豊かさをもたらす水環境」の実現を目指し、各種事業を進めています。
創設時の配水管の布設 |
大正時代の横内浄水場 |
戦災で焦土化した市内 |
十勝沖地震でこわれた配水管 |
十勝沖地震 水を求める市民 |
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水道部 構内広場 |
ブナ植林10万本達成記念感謝状贈呈式 |
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