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更新日:2022年8月31日
明治31年 | 1898 | 市制施行青森市となる。 ニコラフスクへ鮭鱒買取りに出帆した帆船国吉丸(田中与太郎所有)が、帰路コルサコフ港(樺太)近海で遭難する。 |
明治33年 | 1900 | 蜆貝町エビス島周辺に青森魚菜市場建設される。下北方面のマグロ大漁続く。 |
明治35年 | 1902 | 明治初年から青森で繁盛を極め、北方漁場の開祖と云われた加賀寅与は火災、不漁或いは遭難等により倒産、かわって鎌重が活躍した。 |
明治38年 | 1905 | 奥羽線全通。安方町に青森魚介市場開設される。 |
明治39年 | 1906 | 北方漁場の開拓再開される。鎌重、堤三郎、若由の諸氏がカラフト漁場入札許可をとる。また小田原仁兵衛はサガレンに漁場を開いた。 |
明治40年 | 1907 | 千葉三次郎(三代目千葉伝蔵)カラガンスキー、オホーツク方面に漁場を開く。 |
明治43年 | 1910 | マルハ林兼商店東北支社を設ける。 |
明治44年 | 1911 | 青森冷蔵汽船(株)設立(遠洋漁場補助金制度による) |
明治45年 | 1912 | 冷蔵汽船善知鳥丸建造、積取船による買付け始まる。 |
大正9年 | 1920 | 青森製氷(株)設立。 |
大正12年 | 1923 | 中央卸市場法施行。 |
大正13年 | 1924 | 青函内貨車輸送始まる。魚市場取引場所となる。 |
昭和5年 | 1930 | 青森水産出荷組合創立。仲買部会結成。 |
昭和6年 | 1931 | 焼竹輪製造組合設立。 |
昭和7年 | 1932 | 機船底曳業者組合設立、問屋業組合設立。 |
昭和10年 | 1935 | 食品取締規則実施により市場組織変更。 |
昭和12年 | 1937 | 戦時下、県漁連の共販開始。 |
昭和14年 | 1939 | 県は水産物の生産・配給・消費を一元化。 |
昭和15年 | 1940 | 県漁連の魚市場経営拡張、当業者は魚市場の市営案固持。 |
昭和16年 | 1941 | 魚市場上屋竣工(農林省補助)。青森県鮮魚介配給統制規則公布。 |
昭和20年 | 1945 | 終戦。漁場閉鎖され、統制解除始まる。(丸青青森市場創立) |
昭和24年 | 1949 | 後潟、奥内、油川、青森市、原別、原別第一、野内、久栗坂の各漁協設立。 |
昭和25年 | 1950 | 青森魚市場機構改革論議される。沖館漁協設立。 |
昭和26年 | 1951 | 後潟第一漁協設立。 |
昭和27年 | 1952 | 湾内タラ皆無となる。 |
昭和31年 | 1956 | 北海道西海岸ニシン皆無となる。(丸水青森魚市場(株)創立) |
昭和32年 | 1957 | 統制解除と共に不振を極め魚市場存立の意義失う。 |
昭和33年 | 1958 | 市営魚市場となる。全国水産加工展示会開催(市制施行60周年記念事業) |
昭和34年 | 1959 | 青森県魚市場条例公布施行。 |
昭和35年 | 1960 | さば一本釣水揚高最高を記録。 |
昭和36年 | 1961 | 青森漁港第2期工事始まる。 |
昭和37年 | 1962 | 第1次沿岸漁業構造改善事業調査指定。 |
昭和39年 | 1964 | 第1次沿岸漁業構造改善事業並びに諸対策事業実施。青森市海藻類採苗場建設。事業費619万5千円、面積264.7平方メートル。漁協合併により後潟と後潟第一が後潟新生漁協に、原別と原別第一が原別漁協となる。 |
昭和40年 | 1965 | 青森市営魚市場増築完成。青森県水産物展示即売会開催。青森市営魚市場条例規則改正公布。石川商店から海上気象標識灯寄贈される。 |
昭和44年 | 1969 | 管内8漁協が合併して新しく青森市漁業協同組合として発足、後潟新生漁協が後潟漁協に改称。中央卸売市場開設のため横内地区に99,000平方メートルにおよぶ土地を買収し、昭和45年度から工事に着工。 |
昭和45年 | 1970 | 水産加工団地予備調査実施。第3回青森県水産まつり開催。 |
昭和46年 | 1971 | 第2次沿岸漁業構造改善事業陸奥湾地域調査指定。 水産加工団地形成本調査実施。 養殖指導船「せいかい」建造(2.5トン)400万円。 |
昭和47年 | 1972 | 中央卸売市場開設に伴い水産課から市場移管。 |
昭和48年 | 1973 | 第2次沿岸漁業構造改善事業実施。第5次漁港整備計画決定。 |
昭和49年 | 1974 | 青森市海藻類採苗場増築。事業費7,059千円、面積382.0平方メートル。 第5次漁港整備事業実施。 |
昭和50年 | 1975 | 養殖ホタテ大量へい死に対し、天災融資法を適用し救済措置を講ずる。 |
昭和51年 | 1976 | ホタテ異常へい死の対策として、ヒトデ駆除事業を実施。 |
昭和52年 | 1977 | 51年に引続いてヒトデ駆除事業を実施。第6次漁港整備計画決定。海洋法200海里漁業専管水域設定。 |
昭和53年 | 1978 | ホタテ貝毒発生(6月下旬)。 |
昭和55年 | 1980 | 野内川がサケ・マス未利用河川に指定。 |
昭和56年 | 1981 | 新沿岸漁業構造改善事業青森地区指定。陸奥湾漁場クリーンアップ試験調査事業実施。 作業船「はまなす」建造。 |
昭和57年 | 1982 | 漁場利用振興対策事業(海づり公園)着工。 |
昭和58年 | 1983 | 日本海中部地震により水産指導センター第一培養棟、水槽等災害復旧工事。 船揚場完成(センター前)。異常高水温によりホタテ稚貝へい死。 |
昭和61年 | 1986 | 浅虫海づり公園開園(5月2日)。 |
昭和62年 | 1987 | センター船庫建設(9,500千円)。 |
平成3年 | 1991 | 調査船「やすかた」建造(15,111千円) |
平成4年 | 1992 | 水産指導センター第1培養棟解体、ナマコ種苗生産棟着工。 |
平成5年 | 1993 | ナマコ種苗生産棟完工。 |
平成6年 | 1994 | 奥内(飛鳥地区)漁港着工。 全国内水面漁業振興大会開催。 |
平成7年 | 1995 | 阪神大震災。ヒトデ異常発生により駆除事業実施。 |
平成8年 | 1996 | 国連海洋法条約発効。 青森県豊かな海づくり大会開催(青森市)。 |
平成9年 | 1997 | TAC制度スタート。 青森市水産業振興計画策定(3月)。 |
平成10年 | 1998 | 市制施行100周年。 |
平成11年 | 1999 | 夏季高水温。ヒトデ異常発生により駆除事業実施。 |
平成12年 | 2000 | ホタテガイ生産額が過去最高を記録。 |
平成13年 | 2001 | ホタテ半成貝大幅下落で水揚金額激減。 |
平成14年 | 2002 | 奥内(飛鳥)漁港完成。北方都市会議開催。 |
平成15年 | 2003 | 水産指導センターが「豊かな海づくり大会表彰(水産庁長官賞)」を受賞。 陸奥湾東部海域でホタテガイ大量斃死発生(3月、4月の低気圧の影響)。 |
平成16年 | 2004 | 中国大連市と経済文化交流委員会を設置 宮田地区山下溜池において外来魚駆除 |
平成17年 | 2005 | 「青森市漁業研究リーダー会」が青森県水産大賞を受賞 |
平成18年 | 2006 | ナマコ価格高謄 |
平成19年 | 2007 | 弘前大学と包括協定を締結し、ナマコの調査・研究に着手 |
平成20年 | 2008 | ホタテ漁船日光丸海難(4月5日)により6名死亡 |
平成21年 | 2009 | 暴風雪により海づり公園損壊(2月21日) なまこストラップ大ヒット |
平成22年 | 2010 | 海づり公園リニューアルオープン(4月23日) 猛暑にともなう高水温によるホタテガイ大量へい死 水産指導センター調査船「かいと」建造 |
平成23年 | 2011 | 東日本大震災(3月11日) |
平成24年 | 2012 | 異常高水温によるホタテガイ大量へい死 全国漁港漁場大会が青森市で開催(10月25日) |
平成25年 | 2013 | 総務省地域経済循環創造事業を活用し、ナマコ加工廃棄物を活用した地域経済活性化事業を実施 |
平成28年 | 2016 | 水産業課の事務機能が水産指導センターに移行し、新たに青森市水産振興センターに名称が変更。 |
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2022年8月31日、ページタイトルを修正しました。
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