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更新日:2016年3月14日
棟方志功(1903~1975)は、幼い頃から弱視でしたが絵を描くのがとても好きな少年でした。青森市内の尋常小学校卒業後、青森地方裁判所の給仕などをしながら油絵を独学します。
雑誌で見たゴッホの作品に衝撃を受けて本格的に画家を志して1924年(大正13年)に上京しますが毎年帝展に油絵の出品を重ねますが落選し続けました。油絵「雑園」が帝展に初入選した1928年(昭和3年)、平塚運一と出会い、版画を始めます。そして、第11回国画展に《大和し美し板画巻》を出品。そして柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司など民芸運動の人々との出会いは、棟方志功の世界を一段と飛躍させました。
1938年(昭和13年)35歳の時、第2回文展に《善知鳥板画曼荼羅》を出品し、官展への版画の出品作として初めて特選を受賞。戦後も名作を次々に発表し、1955年(昭和30年)ブラジルの第3回サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で最高賞。また、翌年イタリアの第28回ベニス・ビエンナーレ版画部門で国際版画大賞を受賞。棟方志功の作品は日本のみならず世界各国で高い評価を受け、1970年(昭和45年)には文化勲章を受賞しました。
棟方志功は生涯、故郷の青森を愛し続けました。ねぶた祭りや美しい自然のある青森への思い、望郷の思いを胸に、1975年(昭和50年)に72歳で亡くなるまで旺盛な制作活動を続け、比類なき棟方芸術を創出しました。
1920年(大正9年) | 青森地方裁判所の弁護士控所給仕となる。 |
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1921年(大正10年) | 松木満史、古藤正雄、鷹山宇一とともに「青光画社」結成。 |
1924年(大正13年) | 上京。帝展に油絵を出品したが、落選。 |
1926年(大正15年) | 川上澄生の版画「初夏の風」と出会い、心を動かされる。 |
1928年(昭和3年) | 帝展に油絵が初入選。 |
1936年(昭和11年) | 第11回国画会展に版画を出品。これを契機に柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らの知遇を受ける。 |
1938年(昭和13年) | 第2回文展に版画出品。版画では初の特選受賞。 |
1946年(昭和21年) | 富山県福光町に移住。 |
1951年(昭和26年) | 東京都杉並区に移住。 |
1952年(昭和27年) | スイス・ルガノ国際版画ビエンナーレ展で優秀賞受賞。 |
1955年(昭和30年) | サンパウロ・ビエンナーレ展で版画部門最高賞受賞。 |
1956年(昭和31年) | ベニス・ビエンナーレ展で国際版画大賞受賞。 |
1969年(昭和44年) | 青森市名誉市民となる。 |
1970年(昭和45年) | 文化勲章受章。 |
1973年(昭和48年) | 棟方板画館設立。(鎌倉市) |
1975年(昭和50年) | 棟方志功記念館(青森市)開館。 |
棟方志功は、青森市が生んだ世界的アーティストであり、近代木版画の大きな流れの中で生まれた1人の偉大な版画家です。
しかし、青森市には棟方志功の他にも、優れた版画家を多数輩出しています。
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神鷲 68.5×87.8 倭画 1968年 |
青森市中大観 八甲田山々中 睡蓮沼写景 55.0×107.0 木版 1974年 |
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