ホーム > 子ども・教育 > 子どもの権利 > 子どもの権利相談センター > スタッフコラム > スタッフコラム【令和4年度第7号】
ここから本文です。
更新日:2022年11月10日
光る海に かすむ船は
さよならの汽笛 のこします
1963年の日本を舞台にして、古いチャペル・風見の鶏・ゆるい坂・散歩道などノスタルジックな横浜山手を背景に、「上を向いて歩こう」とする高校生を描いたスタジオジブリ作品のテーマ曲。横浜山手の坂、旧桜木町駅、山下公園、元町など懐かしさを感じる横浜の街並みが登場します。私の娘はジブリ作品を繰り返し見て育ちましたが、この作品だけは、私にとってもおぼろげになった学生時代を思い出す甘酸っぱい作品です。
主人公・松崎海(メル)の朝の日課は、朝鮮戦争中に亡くなった船乗りの父を想い、海を渡る人に向けて「航海の安全を祈る」を意味する旗を掲げることです。なによりも、メルの誠実で、真っすぐで、凛とした生き方に共感を覚えました。
メルの家のあった横浜山手の風景で、半世紀前のセピア色の記憶が蘇ります。1970年代、横浜港を一望できる高台の高級マンションに住む女の子の家庭教師をしていました。シアトルからの帰国子女、英語はネイティブでしたが、本人の気持ちはまだ揺れていました。両親の願いは、横浜山手の有名女子大中等部に娘を進学させることでした。越境して元街小学校に通わせ、平日は家庭教師と学習塾の毎日、土日は模擬試験で、お金をいくらつぎ込んでも構わないという雰囲気です。のんびりと田舎で育った家庭教師は、そこまでして、横浜山手のお嬢さん学校を希望する気持ちを理解できませんでした。
年を経て、石川町駅で紺色の制服の子ども達を見て、樹々に囲まれた元街小学校や女学院のある山手地区を散策してみると、少しだけ、海外生活など激しく変化する生活の中で、先の見える安定した将来を強く願った親の気持ちがわかるような気がしました。
当時はすでに、高台の山手地区には、港の見える丘公園から続く閑静な高級住宅街が広がっていました。山手本通りには、白いハットに夏色のワンピースを着た若い母が子どもを幼稚園に連れていく姿がありました。
丘の上に住む人と、丘の下や谷間に住む人々!横浜は坂の多い街です。当時の横浜は、貧富・階層の違いが「高さ」に表れていたように思います。中村川沿いには日雇労働者が住む寿町(ドヤ街(※1))がありました。小説家柳美里が、幼い日に、黄金町駅近くの大岡川沿いに佇んで、遠くの丘の上を愛憎入り交じる気持ちで眺めていたという文章を読んだ時、妙に納得しました。場末の飲み屋が連なる大岡川にはメタンガスが浮かび、欲望の入り混じった匂いがしていました。丘の上の家々の灯が、別世界のように眩しく見えました。
その女の子は、希望した学校に合格しました。小学生だった女の子も、もう中年の年齢になっています。いろいろな人生模様があったことでしょう。今も、丘の上の瀟洒(※2)な家で、みなとみらいの高層ビルや光る海を見ながら幸せに暮らしているでしょうか!?
凪だけでない大荒れの日もある青春の大海原!そこに船出するすべての少年少女に向かって、メルは、今日も『航海の安全を祈る旗』を揚げているように思います。
夕陽のなか 呼んでみたら
やさしい あなたに 逢えるかしら
(次回の仮想劇場は「ミスサイゴン」です。)
子どもの権利擁護委員 関谷 道夫
※1ドヤ街…日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことば。
※2瀟洒(しょうしゃ)…すっきりとあか抜けているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.